宗教の信者と同じで、100%神様を受け入れるのと同じで、相手を100%受け入れることです。
過去、現在、これからも、神様を見た人、神様の声を聞いた人、神様の存在を感じた人は、一人もいません。「自称」は論外です。
しかし、本当の信者は神様のすべてを受け入れます。
世の中のすべての出来事は神様の意思で起きたもので、自分も常に神様のために尽くします。
信仰を深めれば深めるほど、神に対する崇拝も深まり、唯一の媒体の一つであるバイブルをより心から受け入れられて、感銘を受けるようになります。
同様に、理想的な夫婦は、相手の良し悪しすべてを受け入れるべきです。
良し悪しというのは、絶対的なものもありますが、体外相対的なもので、個人差の範疇です。
嫌いだから、絶対的に悪いものはそうありません。
好きだから、絶対的に万人に受け入れられるとも限りません。
但し、互いに基本的に「気に入っている」ならば、相手をほぼそのまま受けいれらることでもあります。
勿論、最初の「気に入っている」箇所は、思い込みや、勘違いなどによるものもありえます。一緒に居る時間が経つにつれて、相手に対する見方が徐々に変化して行きます。相手を評価する尺度も変化して行きます。
長く続けられる夫婦は、その変化があっても、同じように相手を認めて、受け入れられます。相手の好い所をますます有難く思い、感動します。
「愛屋及烏」(あいおく-きゅうう)という四字熟語があります。
四字熟語事典によると、「溺愛、盲愛のたとえ。その人を愛するあまり、その人に関わるもの全て、その人の家の屋根にとまっている烏(からす)さえも愛おしくなるということから。」
これは、相手を100%受け入れる代表的な境地です。
2.相性がいい
「Men Are from Mars, Women Are from Venus」(男性は火星から、女性は金星からやってきたという本があるくらい、男女の違いはもともと激しいです。
もっというと、人間同士はたとえ家族であっても、千差万別で、お互いには赤の他人のような存在です。
好き嫌いも違えば、考え方、物事の見方なども違います。
本能で性行為のために結ばれても、性行為についてすら好みが違ったりします。
それでも、運よく「気の合う」相手とである可能性もあります。
その思いが芽生える瞬間は恋が生まれる時です。
第三者から見るときの良し悪しと関係せず、本人同士さえお互いに気に入れれば、相性のいいカップルです。
趣味や嗜好、物事の考え方・見方、性格などは近ければ、あるいは好かれるものであれば、相性がいいです。
相性がよければ、相性の悪さによる摩擦を回避するためのエネルギーが少なくなり、二人の愛を育むエネルギーに集中できるようになります。相手を受け入れやすくなります。
愛は育めば育むほど、楽しさ、有難さ、充実度が増し、さらにそれを大きく育てる意欲が強くなります。
世の中、離婚率が高騰する一方であることは、この相性のあう相手との出会いの難しさを物語っています。
運命の出会いをじっくり待つしかありません。
参考リンク
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