Thursday, October 11, 2012

The Truth about Ecology Movement エコの本当と嘘

    「エコ」は和製英語で、エコロジーの略です[4]。
    エコロジーEcology)とは本来は「生態学」を意味するが、近年では人間生活と自然との調和などを表す考え方として、「eco」が接頭語としてしばしば用いられている。さらに生態学 (Ecology) は、生物学の一分野と見なされている。ただし、生態系として生物を取り巻く物理化学的環境を扱う場合もあるので、生物学の範囲を超える場合もあり得る。いずれにせよ、生態学は生物と環境の関係を取り扱う学問である。ここで言う環境は生物の主体の取り扱いによって変わり、同種の他個体、他種の個体、周辺のさまざまな生物、物理化学的環境までを含む。
    エコあるいは環境問題についての様々な取り込み、キャンペーン、イベントはどれだけ意味のあることでしょうか[1],[2],[3]。そもそも、エコや環境問題が多く取り上げられるようになったきっかけは、いわゆる地球温暖化問題です。これも本当かどうかの議論があります[5]。

    提唱派と懐疑派のどちらは正しいかは別として、話題のテーマですから、商売・政治等の道具として利用する人達は問題視すべきです。便乗値上げと同じように、どんな商品でも、どんな政策でも無理やりエコ・環境に優しいとか、温暖化防止に貢献とかのキーワードで消費者・有権者に売りこむのは詐欺と同じです。つまり、偽装商品・政策になります。

    分かりやすい例としては、なくてもいいような商品・贅沢品について、エコ商品とか言うラベルを貼ることです。そもそも、今の社会は、特に日本のような先進国、生活環境は必要(定義は人によって違うが)以上に贅沢になりつつあります。どの商品はエコに優しいかを考えるより、日常生活の中でどれがなくてもいいかを考えた方は余程理屈が通りやいです。生産者について言えば、本当は必要以上に新しい技術・商品を開発しなければ、一番「環境」に優しいです。

    しかし、一番「環境」に悪い会社で会っても、環境のための「取り組」を何かを一生懸命考えて、それを会社のPRにしています。例えでいえば、環境を100壊しているのに、環境に「いい」ことを1だけすれば、「弊社は環境問題に真剣に取りこんでいる」と訴えられるわけです。

    もっと掘り下げると、環境問題は何であるかについては、とても曖昧な概念しかありません。また、どのような問題があって、どのような努力をして、その結果で問題はどのように改善されたかという検証は誰にも行われていません。

    これまで何回か「必要」というキーワードを使ってきました。確かに人によっては、何が「必要最小限」で、何が「贅沢」であるかは違います。しかし、ひとつだけはっきり言えるのは、この社会において、様々な無駄遣いは昔よりはるかに多くなっています。無駄に食べ乗り、売れ残りを捨てたり、無駄に照明を付けたり、無駄に生活用水を流したり、「規格外」商品(野菜・果物を含む)を無駄に捨てたりするのは、毎日のように行われています。

    「そのためのお金があるからいいじゃないか!」と平気に思っている人もいるかもしれませんが、そろそろ人間の消費能力はこの地球が提供できる範囲を超えようとしてます。ものによっては、すでに超えています。

    日本はとっくに昔から、エネルギー、原材料、食料等の輸入大国になっています。中国をはじめとする「発展途上」の国々でも、昔の資源輸出国から輸入国に転換してきました。その根源は経済の「発展」にあり、人々の生活は「豊か」になったからです。

    それでも、地球の全人口の内、日本のような国にの生活水準(いいかどうかは別として)と似たレベルにあるのは、まだ数分の一しかありません。その比率が増加してくると、地球の資源はたちまち破たんします。

    例え気温は変化しなくても、オゾン層は変わらなくても、食料は足りなくなります。飲み水は足りなくなります。エネルギーは足りなくなります。どこそこの島一つや二つの問題は屑のようなレベルになります。いや、それだけですぐ戦争になりかねません。何故かといいますと、死活にかかわる問題になるからです。

    これはほら吹きで大げさの言い方だと思っている方は大いに結構です。分からなくもありません。本当に個人レベルではっきりと分かる日には、すでに遅くて、救いようもなくなっているからです。当分の間、よそのところの資源で賄えているので、潜んでいる大きいな危機を感じることはできません。

    もっと言うと、日々の生活に追われている一般民衆は、もはやそこまで深く考える余裕はありません。エコとか環境とか、地球温暖化とかはいったいどうことで、何が本当か、何がウソかを見分けるエネルギーはありません。

    会社で言いますと、地球資源どうこうを考える余裕なんてどこにもありません。価格競争で、売り上げや利益を覚悟するのに必死です。それこそ猫の手でも借りたいです。エコや環境を格好の道具にするのは自然といえば自然です。

    もっと範囲を広げて、国レベルで言いますと、エコや環境は一枚のカードに過ぎません。国民に政策の姿勢を見せるや、ほかの国をけん制するなどの格好の道具です。

    今まで、「試されてきた」様々なシステムは、どれもこれも理想から程遠いものです。現状では、エコ・環境問題はあっても、根本的な対策はないでしょう。ほかの問題と同じように、カオス的な人間社会を調整させる一つの要素に過ぎないです。最終的には、人間の「良識」がどこまで物事をコントロールできるかどうかです。少しでも暴走してしまえば、戦争のような事態になりかねません。しかも、「正当化」された戦争です。

    本当の意味で人間同士のお互いにいいような社会を作るために、皆で考えていけませんでしょうか。是非そうしてほしいです。主義・宗教などを超えて。


参考リンク
[1] エコの真実キャッシュ
[2] 「エコ 何が真実か」 【中年男子の主張】(キャッシュ)
[3] 誰がエコの真実の責任を取るのだろう(一年で会社辞めたゆとり新卒ブログ)(キャッシュ
[4] エコロジー(Wikipedia)
[5] 地球温暖化の原因対策の大きな嘘(ウソ)(キャッシュ)

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